2025.09.05 ラグ ギャッベ
イランの砂漠で織られる美しいギャッベ。
その色とりどりの模様に込められた深い意味をご存知ですか?
一見すると可愛らしい動物や植物の柄に見えますが、実はそこには遊牧民の女性たちの家族への愛情、自然への感謝、未来への希望が織り込まれています。
生命の木は子どもの健やかな成長を、動物たちは豊かな生活を、幾何学模様は部族のアイデンティティと魔除けの願いを表現しています。
数千年の歴史を持つこの伝統工芸が持つ精神的な豊かさと文化的価値を、詳しく解説いたします。
ギャッベとはペルシア語で「ざっくりした」という意味を持つ、イラン南西部の遊牧民カシュガイ族によって織られる手織り絨毯です。
その歴史は約1000年以上前から続くとされ、正確な起源は明確ではありませんが、ザグロス山脈周辺で遊牧生活を営む人々によって実用的な敷物として生み出されました。
ウール100%の天然素材を使用し、毛足が長く粗めに織られているのが特徴で、厳しい自然環境の中でテントの床に敷かれ、寒さや固さから家族を守る重要な役割を果たしています。
カシュガイ族の女性たちは、結婚の準備として若い頃からギャッベを織り始め、家族の幸せを願いながら一枚一枚異なるデザインを創り出します。
下絵や図案は一切使わず、織り手の感性と人生経験によって生み出される模様は、世界に2つとして同じものが存在しません。
彼女たちの日常生活で目にする動植物、厳しい自然環境への畏敬の念、家族への愛情、未来への希望などが、色彩豊かな糸に込められて織り込まれていきます。
そのため一枚のギャッベは単なる敷物ではなく、織り手の人生そのものを表現した芸術作品なのです。
ギャッベの最も代表的なモチーフである生命の木は、砂漠の大地に深く根を張り、天空に向かって力強く成長する糸杉をモデルにしています。
厳しい自然環境に耐えながらも天に向かって伸びる姿は「命」そのものを象徴し、子孫繁栄、家族の健康、長寿への願いが込められています。
織り手の母親としての愛情が表現されたこのモチーフは、大きく描かれることもあれば、小さく簡略化されることもありますが、どの表現方法でも生命力にあふれた力強さを感じさせます。
遊牧民の生活に欠かせない羊やヤギは、ミルクや肉、毛を提供してくれる貴重な財産であり、家族同然の存在として大切にされています。
これらの動物を描くことで豊かな暮らしと財産を表現しています。
鹿は子どもに寄り添い大切に育てる習性から家庭円満の象徴とされ、ラクダは新しい土地への移住で財産を運んでくれることから成功のモチーフとして織り込まれます。
また、大空を自由に飛び回る鳥は神様からの使者として幸福や憧れを意味し、特にクジャクは美しさの象徴として愛されています。
これらの動物たちは織り手の日常と深く結びついた存在なのです。
ギャッベに織り込まれる幾何学模様は、単なる装飾ではなく深い意味を持っています。特にひし形の「トランジ」は部族のアイデンティティを表す重要なモチーフで、配置や組み合わせによってどの部族に属しているかを示します。
四角形は窓や井戸を表し、窓からの幸せの流入や、砂漠で貴重な水源への感謝を込めています。
X字型のデザインは永遠を意味し、家族の健康と幸せが未来永劫続くことへの願いが表現されています。
ジグザグ模様は水の流れを表現し、縦は川の流れを、横は湖の流れを意味します。これらの模様は遊牧民の世界観と価値観を物語る文化的な記号として機能しています。
遊牧民の厳しい生活環境では、家族を危険から守る魔除けの願いも重要な要素でした。
オオカミの足跡を模した花のような模様は、家畜を襲うオオカミから身を守るための魔除けとして織り込まれています。
横向きのS字型「ケルマック」は小さな虫を表し、邪悪なものの侵入を防ぐ魔除けのモチーフとして使われています。
V字型は矢じりを表現し、強さと期待、憧れの気持ちを込めています。
これらの記号は現代の私たちには理解しにくいものもありますが、厳しい自然環境の中で生きる遊牧民にとっては、家族の安全を願う切実な祈りの表現でした。
目に見えない力への畏敬と保護への願いが、これらの神秘的な模様に込められているのです。
ギャッベの美しい色彩は、すべて自然素材から作られた天然染料によるものです。
赤色は西洋茜の根やドングリから作られ、太陽や元気な子どものほっぺを表現し、生命エネルギーに満ちた力強さを象徴しています。
青色はインディゴから作られ、夜の砂漠や青い空、豊かな水を表現し、自然への感謝と落ち着いた雰囲気を醸し出します。
緑色は春の豊かな大地を表現し、短い春への憧れと自然への感謝が込められています。
黄色はサフランやターメリック、玉ねぎの皮から作られ、大地や昼の砂漠を表現しています。
これらの色彩は季節の移ろいと自然の恵みへの感謝の気持ちを表現した、遊牧民の美意識の結晶です。
カシュガイ族は季節に応じて砂漠地帯と山岳地帯を移住する生活を送っているため、色彩には故郷への深い愛情と郷愁が込められています。
黄色は慣れ親しんだ砂漠への望郷の思いを表現し、山岳地帯に移住した際に故郷を偲ぶ色として織り込まれます。
白色は始まりや無限の可能性を表現し、新たな季節や場所への希望を込めています。
無染色のウール本来の色は、自然への敬意と素材への感謝を表現しています。
これらの色彩は単なる装飾ではなく、移住生活を送る遊牧民の心の支えとなる重要な要素でした。
一枚のギャッベに織り込まれた色彩は、織り手の人生の軌跡と故郷への愛を物語る色彩詩なのです。
ギャッベの柄と色彩に込められた意味を探ることで、イラン遊牧民カシュガイ族の豊かな精神世界と文化的価値観を深く理解することができました。
ペルシア語で「ざっくりした」を意味するギャッベは、約千年以上の歴史を持ち、単なる敷物ではなく織り手の人生と願いが込められた芸術作品です。
生命の木に表現される健康と長寿への祈り、動物たちに込められた家族と財産への感謝、幾何学模様に隠された部族のアイデンティティと魔除けの願い、そして天然染料が織りなす自然への憧れと故郷への郷愁。
これらすべてが一枚のギャッベに調和よく織り込まれ、見る人の心を魅了し続けています。
現代社会においても、家族への愛情、健康への願い、自然への感謝という普遍的な思いは変わることがありません。
ギャッベを通じて遊牧民の知恵と美意識に触れることで、私たちも人生の本質的な価値について改めて考える機会を得ることができるでしょう。
この伝統工芸が持つ精神的な豊かさは、現代の忙しい生活の中でも心の支えとなる貴重な文化遺産なのです。